Raita Tani Story 1

代表の谷雷太は縁があり19歳から約13年間中国に移住。当時は学生だったので、もちろん商売の方法も全然理解していなかった。しかし、様々な人と出会う中で、商売の可能性を強く体感することに。中国マーケットには世界中のあらゆる商品が取り揃えられている。さらに、日本と異なり、中国では10代の若者が日常的に商売を行っていた。ある日、友人との待ち合わせで合流した時に「衝撃の事件」が起こる。なんと自分よりも年下の16歳の友人が約1500万円の高級車に乗って現れたのだ。てっきり友人の両親が所有する車かと思ったが予想は外れた、その高級車の持ち主は16歳の彼だった。実は工場を所有している社長兼オーナーという事実も発覚。全てが衝撃的だった。この事件をきっかけに起業への意識が芽生えたのである。

自分自身の考え方・視界が変わる中で商売の本質も見えてきた。中国でビジネスを行う経営者は、良い意味でも悪い意味でも仕事に対してストイックだ。商売に繋がらないなら人間関係もあっさり切れてしまう。しかし、商売で利益が見込めるなら対応が劇的に変わる。自分が困っていたら全力で助けてくれる人間関係があるのだ。つまり、ビジネスでお互いWIN WINの関係を構築することで、本当の意味での友情に繋がることが分かった。様々な方に助けられながら自分でビジネスに挑戦。様々な貴重な体験する中で「日本に戻ってビジネスをやりたい」という心の声が強まった。

Raita Tani Story1

中国の環境に触れ、商売の本質を体感。

- 谷雷太の青年時代 -

Raita Tani Story 2

思い立ったらすぐに行動。それが谷雷太のスタンスだ。日本に戻り起業してビジネスを開始。中国での経験を糧に、今度は日本のマーケットで挑戦を行う。「すぐに結果を出す」と決意していたが、残念ながら現実は甘くなかった。様々なアイデアを具現化してビジネスを行うも上手くいかない。あらゆる手を尽くしたにも関わらず結果が出ない毎日。改めてビジネスの厳しさを痛感させられた。そのような状況の中でも努力を重ねるしかないと思い毎日が悪戦苦闘の連続。しかし、ついに転機が訪れる。

ビジネスで成功している知り合いの経営者と話をしていた時に、これまで脳内に浮かんでいた様々な点が線に繋がった。「良い商品であれば、顧客は対価を支払う」、これは商売の本質的な考えであるが、改めて腹落ち感があったのである。ここから新たなアイデアが湧き出てきた。その1つが車のヘッドライト。そう、これが現在展開しているHID屋の原点になる。

Story2

様々な商売失敗。挫折したからこそ。

- 日本マーケットでの挑戦 -

Raita Tani Story 3

車のヘッドライトを主力製品に、企画から製造・販売まで全て行えるメーカーとして改めてビジネスを展開。新たな課題なども出てきて、正直なところ順風満帆ではなかった。しかし、やり切る力で全ての課題を確実に1つ1つ解決していく。お店の名前も「HID屋」に決定。日々積み重ねる中で、ありがたいことに少しずつファンが増えてきた。「HID屋のライトに切り替えたら、もう以前のライトに戻れなくなった」「暗い夜道でも安心して運転ができる」「これだけ品質高くて、こんなに低価格なの!?」、など心に染み渡るお客様からの感謝の声がどんどん増えていく。

そのようなありがたい状況の中、自分自身で対応できる限界も見えてきた。「このままではお客様に迷惑をかけてしまう」、それだけは絶対に避けなければならない。そこで一緒に働いてくれる仲間を探すことに。まだまだ知名度のない会社・ブランドに共感してくれる人がいるのだろうか。様々な不安もある中で仲間探しも開始した。しかし結果的に素晴らしい仲間との縁が沢山生まれた。仲間探しを始めて数年経った今、全国に優秀な仲間たちがいる。このような状況になるなんて起業当初は予想もできなかった。さらに、仲間の数が増えるのと比例するようにお客様の数も増え続けている。「関わってくれる方全てに感謝しかない」、谷雷太を先頭にして私たちはさらに前に進み続ける。これまで彼が実践してきた「行動」と「挑戦」をし続ける中で、さらかに視界を変えていく。

Tani Raita Story3

行動と挑戦で視界は広がる。

- HID屋の誕生、そして未来へ。 -

HID屋の由来

「HID」はHIDランプから、では「屋」はどこからきたのか。多くの方からご質問をいただきます。実はお客様の声から生まれました。当時HID屋のECサイトOPEN後、しばらくの期間は代表の谷雷太もお客様からの問い合わせ電話対応をしていました。その中でお客様から「HID屋さん」と呼ばれるケースが多かったのです。当時はHIDライトをメインに取り扱っていたので、お客様からすると八百屋さんのような感覚でHID屋さんと呼ばれていたのかもしれません。そしてお客様が徐々に増える中で、改めてブランド名を検討することになりました。その時に、谷雷太がお客様の声から拝借して「HID屋」と名付けたのです。現在、多くのファンの皆様からは「HID屋の屋が特にいいですね」と評価いただいています。これからもより愛されるブランドになるようにHID屋を育てていきます。

HID屋由来